錦天満宮について:歴史

由緒沿革

当天満宮は平安時代前期の十世紀初頭、学問の神となられた菅原道真公(菅公)の生家『菅原院』に創建されました。

菅公薨去の後、菅原院は『歓喜寺』と寺名に改称、その後、嵯峨天皇の皇子源融公の旧邸六条河原院に移山※1、塩竈宮を鎮守に天満大自在天神をお祀りしました。

  • (※1)寺院が他の地に移転すること

三百年後、この地は、後に、時宗道場、歓喜光寺と称される京都八幡の善導寺に寄進され、同時に、歓喜寺(菅原院)は『天満宮』に改められ崇敬、奉祀されました。

当錦天満宮は歓喜寺に由来しており、又、菅公聖跡二十五拝※2の第二とされるのはこの伝承によるものです。

  • (※2)菅原道真公を祀る天満宮の中で、特に由緒の深い二十五社

そして、「歓喜光寺」の創建から274年後、桃山時代天正年間に行われた豊臣秀吉の都市計画によって、時宗四条道場としても有名な「金蓮寺」の敷地に移転。以後400年余、「錦天満宮」として同地に鎮座しております。このような歴史の中、享保十四年(1729年)には前関白輔実公の申請で唐破風獅子口を許され、明治五年(1872年)には神仏分離令によって社が独立。「歓喜光寺」は東山五条へ(後に山科へ)と移り、残された神社は、同年、新京極通開通の際に社地を縮小し、現在に至っております。

約200坪の境内には、京の街のど真ん中にありながら、四季折々の花々が咲き、地中からは良質な名水・錦の水が湧きでております。繁華街唯一の鎮守社として「智恵・学問・商才の神様」「招福・厄除け・災難除けの神様」として霊験あらたかに、近隣の方々をはじめ、国内はもとより、海外からも御参拝いただき親しまれて参りました。

御祭神
菅原道真公
御神徳
知恵 / 学問 / 商才 / 招福 / 厄除け / 災難除け
例祭 神事
春季大祭五月二十五日
秋季大祭十一月二十五日 / 献茶、献華、舞楽奉納、詩吟
月次祭毎月一日、十五日
毎月二十五日遠州流生け花展 於 社務所 / ごま木(焚上串)お焚上

近代的・経済的に繁栄し続ける京の町で、伝統的・精神文化的な神社として調和共存を唱えながら、誰もが気軽に立ち寄れる「錦の天神さん」として、人々の幸せを願っております。

ページトップ